茨城県中学校教諭

2013年3月 広島大学教育学部第四類音楽文化系コース 卒業
2015年3月 広島大学大学院教育学研究科生涯活動教育学専攻音楽教育学専修 修了

卒業してから,もう7年になります。今でも“教音”の友人と連絡を取り合って,互いの近況を報告しています。私にとって,かけがえのない大学生活でした。この度,広島大学の6年間で学んだことを,現在職としている教員としての視点からお話ししたいと思います。

<大学での日々>

学校の先生になろう,と決めたのは高校1年生の時でした。広島大学のオープンキャンパスに行き,この大学に進学したいと思いました。センターと実技の両方の試験が必要でしたが,進学重視だった高校では授業選択が難しく,実技を優先させて音楽の授業を取ったため,センター試験に向けた授業が選択できない教科もありました。しかし,高校の先生方が休日や放課後に時間を取って勉強をみてくださり,無事に広島大学に合格することができました。
本コース『教音21』としての日々を始めた私は,毎日が音楽と友情と笑いに溢れていました。朝から晩まで練習室にこもってひたすら曲をさらい,息抜きに談話室でおしゃべりし,また練習室にこもる…。仲間とともにアンサンブルを組んで大学内外で演奏したり,学外のオーケストラに参加したり…そんな日々が本当に楽しかったです。
ヴィオラ専攻で受験でき,しかも弦楽研究室のような素晴らしい研究室がある国立大学が身近にあったことは,本当に幸せなことでした。専科として,たくさんの実技レッスンを受講できたことで,多くの力を伸ばすことができたと心から実感しています。
この時期に身に付けた音楽性は,現在の音楽科としての指導に欠かせないものになっています。また,当時の教音にはヴィオラの専科がいなかったため,たくさんの方に喜んでいただいたり,先輩方や同級生に頼りにしてもらえたりしたことは,私にとってヴィオラの素晴らしさを伝えられる機会となり,とても嬉しかったです。また,ヴィオラ専攻として,1年生から上級生の中でオーケストラに参加したり,パート練習で副科の学生に奏法などについて説明しながら練習を進めたりする中で,人に物事を伝える力や様々な人と関わる力を育むことができたと感じました。さらに,3年次にはオーケストラのインスペクター,修士課程前期ではそのアシスタントティーチャーとしてそれぞれの立場でオーケストラの講座を運営する貴重な経験をしました。インスペクター時代には,指揮者の先生や学生のサポート役となり,授業や教音のメインイベントである定期演奏会など大人数をまとめ運営していく方法について学びました。定期的に講座の通信を発行したり,オーケストラ全体の人間関係について考えたりあるいは自ら関係づくりを行ったりし,それは現在の学級経営に生かされていると感じます。アシスタントティーチャーとしては,講師の先生方と講座の打ち合わせをしたり,学生の出席確認や講座の補助を行ったりすることで,また違う立場で働くことを学ぶことができました。

広島大学教育学部音楽文化系コース 弦楽演奏会にてソリスト

<中学校での日々>

私は,茨城県の鹿嶋市立鹿野中学校で音楽科教諭として働き始めました。鹿嶋市は,鹿島神宮やJリーグ鹿島アントラーズが知られており,鹿島臨海工業地帯が形成される工業地帯でもあります。鹿野中学校は霞ヶ浦が見渡せる台地に建っており,遠くには富士山まで見え,四季折々の風情が感じられる場所でした。そんな中で育ってきた生徒たちには,とても表情豊かでのびのびとした,心の優しい雰囲気があふれていました。また,合唱がとても盛んで,校内の合唱コンクールに向けて3か月間熱心に練習に励むため,休み時間や放課後には,校舎中にきれいな歌声が響き渡っていました。
「音楽科教諭として,鹿野中学校の生徒に何をしてあげられるか」このことが私にとっての日々の課題でした。中学校の中だけで終わってしまうのではなく,学校外でも,そして卒業後も生徒にとってつながりのある授業はどのような授業か…。教員になって実際に授業や部活動指導を行っていると,教音で学んだことが生かされていることを実感します。
その一つに,合唱コンクールがあります。鹿野中学校の学級対抗の合唱コンクールは,学校行事の中でも練習期間が長く,そして学級の取り組みの成果が顕著に表れるため,生徒も担任の先生もとても力を入れる行事でした。鹿野中学校では,前任の音楽科の先生が指導力のある先生だったこともあり,とてつもなく盛り上がる合唱コンクールは,本当に大きなプレッシャーでした。初めて教員になって,初めての授業,初めての生徒,初めてのことばかりなのに,もう学校の中心として働かなければいけない…。試行錯誤しながら取り組んだ結果,同僚の先生にいただいたのは,「初めてなのに,こんなに感動する合唱コンクールをありがとう」という言葉でした。在学中に,コンサート・マネージメントの講座を受講し,教音の一大イベントである定期演奏会の企画運営を学生の力で行った経験があったからこそ,行事を運営できたのだと思いました。当時のチューター教員だった髙旗先生は,このマネージメントの授業と定期演奏会の運営を,大変熱心に,そして私たちの自主性を尊重しながらご指導くださいました。行事の企画の仕方,会議での協議,参加する多くの学生との関わり,ホールとの打ち合わせに講師の先生方との調整…事務的なことから実務的なことまで,仲間と協力しながらとてもたくさんの経験をすることができました。
二つ目は,授業者としての立場です。オーケストラの講座では,技術的な指導だけではなく,精神的な面での話や教育者としての考え方など,多様な視点での指導がありました。6年間,ヴィオラのトップを務めながら,何でも吸収しようと楽譜やノートに片っ端からメモをしました。今でもその楽譜やノートは大切に持っています。一番心に残っているのは,「どうしてこうしているんだと思う?」という先生からの問いかけでした。授業をしながら,また授業者としての立場でどのように授業を組み立てているのか,それをいつも示してくださいました。オーケストラの一員として演奏するだけでなく,指導者の視点でどのように授業を構成し指導していくべきか,ということについても学ぶことができました。

中学校での日本音楽の箏の実践授業
校内合唱コンクールで吹奏楽部と協演

<これからの日々>

私は幼少期から父の影響もあり,音楽に囲まれた生活をしていました。バッハが大好きな父は,家でいつもクラシックをかけ,私たち兄弟に曲名や作曲者名のクイズを出題しました。音楽の仕組みや表現の仕方についても分かりやすく教えてくれ,「人に何かを教える」という事は,私にとってとても身近なことでした。幼少期にバイオリンを始めた後,10歳でヴィオラに触れた時,「なんて美しい楽器なのだろう」とその魅力に感動し,ヴィオラを弾いていくことを決めました。弦楽器の魅力を知れば知るほど,もっと多くの人に小さい頃に知ってほしい,触れてほしいと思うようになり,弦楽器専科の音楽教員を志すようになりました。また,老人ホームでの演奏や,東日本大震災の翌年からは,弦楽四重奏を組み,福島県の仮設住宅を回りながら夏と冬に演奏をするボランティアを始めました。自分の経験を生かして,様々な人に楽しんでもらえたり,喜んでもらえたりすることは,とても嬉しいことでした。同時に,その経験を生徒に伝えることは,教師としてもとても大切なことだと感じています。今はボランティア自体が困難な状況ではありますが,仕事以外の場所でも人の為に何かできる自分でありたいと思いました。
中学校ではこれまで,授業で弦楽器を活用すること以外に,弦楽四重奏を始め,様々なプロの演奏家に依頼をして芸術鑑賞会を実施しました。生徒にとって弦楽器の演奏会は初めての経験でした。自身の専門性を生かしながら,生徒たちの音楽経験に合わせて,演奏家の方々とプログラムの打ち合わせを念入りに行いました。鑑賞している生徒たちはとても楽しそうで,感想をみると,大変印象的な鑑賞会になったようでした。他にも声楽やギター,パーカッション,ジャズなど,幅広いジャンルの演奏会を実施しましたが,それが可能となったのも,本学で専攻以外の学びも充実していたからだと思います。これからも様々な芸術鑑賞会を実施し,生の演奏に触れることで,生徒たちの音楽経験がより豊かなものになるようにサポートしていきたいです。
毎年たくさんの卒業生が会いに来てくれます。「中学校の音楽の授業は楽しかったです。」「高校で音楽を選択しました。」「将来音楽の先生になりたいです。」そんな話を聞くと,「中学校の音楽の先生になってよかった」と心から思います。「音楽科の先生として何をしてあげられるか。」出会った一人一人の生涯につながっていく音楽教育を,これからも学びながら実践していきたいです。

中学校での弦楽器に関する音楽の授業
体育祭での団長先生として団を鼓舞するマイクパフォーマンス